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【書評】『政治参加と民主政治』ー政治知識と投票行動はどう関係するか?

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政治に関する知識と投票先について─政治学の最新知見は語る─

「参加」に沸いた2015

2016年の7月25日に参議院の任期満了日を迎える。相次ぐ大臣の不祥事で揺れ動く安倍政権だが、7月までに安定した状態で選挙を迎えられるかは不透明な情勢である。

一方で、2015年は、少なからぬ人々が選挙以外の手法による「政治参加」について考えた年だったと言っていいだろう。集団的自衛権の問題が浮上したとき、国会を取り囲んだ人々は、「民衆主義ってなんだ」「これだ」と叫び、デモや直接行動にこそ民主主義の本質があると説いた。

このような見解は決して真新しいものではなく、小田実のような戦後民主主義を代表するリベラルな知識人によって繰り返し提唱されてきたものである。それに対して、議会における決定を直接行動によって覆そうとする行為こそが、民主主義を破壊しようという志向を持ったものではないか、という批判も見られた。議会における決定とそれを支持する人々、それに服すことをよしとしない人々の間の溝はかなり深くなっているように思われる。

 

「政治参加」の難しさ

何をもって民主主義が実現されている状態だと見るかについての認識のズレは、政治に参加すると言ったときに思い浮かべるイメージが人によって異なっていることが原因だろう。政治学においても、政治参加という概念は実に多様に扱われてきた。そこでは議会による決定とデモのような直接行動、という対比だけでなく、首長のリコールや住民投票など、より多くの手法に関する検討や議論が展開されてきたのである。

このような政治学において、政治参加に関する重要な著作が刊行された。関西学院大学の山田真裕教授による『政治参加と民主政治』(東京大学出版会、2016年)である。

この著作は、現熊本県知事であり、高名な政治学者でもある蒲島郁夫による『政治参加』(東京大学出版会、1988年)以来の、政治参加に関する包括的な著作であり、これからの政治参加の議論においても重要な位置を占めることになると思われる一冊である。

 

なぜ人は政治参加しないのか?

山田教授の著作は、政治参加にまつわる国内外の先行研究を手広く扱い、それを明快に整理しながら議論を展開している。いくつもの重要な知見が提示されているが、ここでは今日の日本の政治参加を考える上で特に重要だと考えられる部分を中心に論じていこう。

日本の国民は、政治に対してネガティブな意識を持ってきていると言われてきた。山田教授は、国内外のデータを分析し、日本における政治参加は、他の民主主義国家と比しても盛んではないと結論づけている。この部分は、従来議論されてきたこととさほど変わりは無く、違和感も少ないと言える。

では、なぜ日本人は政治に参加しないのだろうか。実はこの部分が最も難しいのである。というのも、政治参加しない人たちに影響を及ぼしている要因があまりに多いからである。山田教授の著作においても、「厳密な説明と検証」は「今後の課題」だとされており、究明が待たれる状態となっている。最新のデータを駆使しても、その要因はなかなか判別できないのが現状だと言える。

しかし、「このことは原因とは考えにくい」という知見はいくつか提示されている。最も興味深いのは「政治知識の多寡」と投票行動の関係である。

山田教授は、自身の研究(2005年の衆議院選挙)と他の研究(2003年と2005年の衆院選挙)を併せ、政治や政策に対する知識の量が、投票行動にほとんど影響を及ぼしていないと論じている。要するに、日本の有権者は政治的情報の量によって投票先を考慮するようなことをしていないのである。

具体的なデータ分析などを紹介すると細かくなるので省くが、山田教授も依拠している、政治的知識と投票行動に関する論文を見ておこう(今井亮佑 「政治的知識と投票行動」、『年報政治学』Ⅰ、283-305、2008年)。

その論文では、自民党に投票している人が民主党に比べて、政治的知識が少ないということが示唆されてはいるものの、2003年よりも2005年の方が自民党が多く票を獲得した理由については、政治的知識の量に関係なく自民党が支持を受けていたということが指摘されている。もちろん、これらの統計的な分析は頑健なものではなく、更なる解明がまたれるところではあるが、いずれにせよ、今のところ判明している限りにおいては、政治的知識は投票行動に大きな影響を及ぼしていないと結論づけられる。

 

「知っていようといまいと、この党に投票する」

このような有権者の投票行動は、政治参加を訴える人々にとって、好ましくないものであろう。いくらデモをやって、インターネットで政策の問題点を分かりやすく提示したところで、それらの努力が投票行動に影響することは無いからである。もちろん、次の選挙を皮切りに、有権者の投票行動に大きな変化が起きる可能性も無いわけではない。しかし、膨大な有権者の長年にわたる投票行動が一気に変わるというのは考えにくく、今後もこのような行動の志向が続くものだと思われる。

「こんなにダメな○○党の政策を知っていれば、この党には入れないはずだ」という前提が間違っているとすれば、多くの人々が政治をよりよくしようとしている努力の多くが無意味だということになってしまう。政治参加を訴えて活動している人々が徒労を感じることがあるとすれば、このような意識の食い違いがその原因だと考えられる。

投票だけが民主主義ではないとする立場をいくら強弁しても、やはり選挙によって敗北するという事実は重くのしかかる。票に結びつかない活動を継続していても、運動は疲弊し、無意味さ、虚脱感が蔓延して運動は瓦解していくことを免れない。では、どのような方向性が考えられるだろうか?

 

よりよい政治のために

国会前の運動に好意的な論者として知られる、法政大学の山口二郎教授と、社会保障論の専門家である宮本太郎教授の編著である『リアル・デモクラシー』という著作がある(岩波書店、2016年)。ここでは、自民党による複雑な利益政治システムが機能しなくなった後の民主主義のあり方が構想されている。

それは多様な「社会集団」に支えられた新たな「利益政治」の姿である。硬直的な利益誘導政治とは一線を画した、市民による自発的な社会集団がこれからの民主主義を支える主体になりうるという展望がそこでは提示されている。

つまり、「利益政治」をかつての自民党のそれとは全く違ったかたちで復活させる必要性がそこでは訴えられているのである。かつて、山口教授は自民党の利益政治を厳しく批判した論者であった。その山口教授が集団の重要性を再認識している点は興味深く、そこには反省の色もみてとれる。

政治の世界においては、人々はある集団を作らなければ非力であり、連帯することによってでしか自らの生活を守ることができない。もちろん、そこでは個人と集団がどのような関係で存在しているかが常に問題となり、そこでは軋轢が生まれ続けることは容易に想像がつく。いずれにせよ、この問題も一筋縄ではいかないものである。

このような構想が実現するかどうか、それが望ましいかどうかについては議論が分かれるであろう。しかし、山田教授の指摘のように、政治情報の多寡が投票行動に影響を及ぼさないとするのであれば、集団による政治参加という道は選択肢の一つとして十分に考えられうるものだと言える。

参議院選挙を前にして、国会前のデモも落ち着いたようである。デモに参加した人々は選挙で結果を出すと鼻息が荒いが、どうなるかは不透明な情勢だと言わざるを得ず、まだまだどうなるかを予測できる状態には無い。

そんな中で、政治学が提供している様々な知見は、私たちが政治について考える上で重要なものである。政治のこれからの情勢に目を見張るとともに、次々と提示される新たな構想や分析についても知っておくことが大切だと言えるのではないだろうか。

 

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