南米 経済

「世界で最も貧しい大統領」、4月に初来日

Pepemujica2
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「世界で最も貧しい大統領」として知られるウルグアイ前大統領、ホセ・ムヒカ氏が4月5日に初来日することが決まった。

政治家としての功績をまとめた書籍ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領(3/25刊行。角川文庫)の発売にあわせ、東京都内で記者会見や講演会などを予定している。

 

世界で最も貧しい大統領とは?

ムヒカ氏は1935年生まれで、2010年から2015年までウルグアイ大統領を務めた。給与の90%を慈善事業に寄付し、生活費は約1000ドル(約11万円)。大統領の公邸には住まず、郊外の質素な住宅で花や野菜を作りながら暮らしている。

こうした暮らしをする理由として、過去のインタビューでこう語っている。

「私たちは、代表民主制と呼ばれるものを発明した。これは、多数派の人が決定権を持つ世界だと私たちは言う」、「ならば、私たち(各国の指導者たち)は、少数派ではなく多数派のような暮らしをするべきだと私は考えている」。

任期中には、2012年ブラジル・リオデジャネイロで開催された「Rio+20地球サミット2012」でのスピーチが大きな話題を呼び、2013年と2014年にはノーベル平和賞にノミネートされた。

既にスピーチを見たことがある読者も多いと思うが、見たことがない方はぜひ見て欲しい。

動画の下に日本語訳も掲載する。

 

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。また、リオ会議にご招待いただいたブラジルのジルマ・ルセフ大統領にも感謝いたします。

これまで素晴らしいお話をされてきたプレゼンテーターの方々にも感謝いたします。国を代表する者同士、人類にとって必要となる国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、私が抱いている厳しい疑問を述べさせてください。

午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は一体何なのでしょうか。現在の豊かな国々の発展と、その消費モデルを真似することでしょうか。

質問をさせてください。ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

呼吸をするための十分な酸素は残るでしょうか。同じことを別の質問で言うならば、西洋の富かな社会が行っている傲慢な消費を世界の70〜80億人もの人々ができるための資源は、この地球に存在するのでしょうか。それは本当に可能でしょうか。

それとも、別の議論をしなければならないのでしょうか。なぜ私たちは、このような社会をつくってしまったのでしょうか。

市場経済の子どもたち、資本主義の子どもたち、すなわち私たちが間違いなくこの無限ともいえる消費と発展を求める社会をつくり出してきたのです。市場経済が市場社会を生み出し、このグローバリゼーションが世界の果てまで資源を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。あるいはグローバリゼーションが、私たちをコントロールしているのではないでしょうか。

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなで世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか。

このようなことを述べるのは、リオ会議の重要性を批判するためではありません。むしろ、その反対です。我々の前に立っている巨大な危機は環境問題ではないのです。それは、政治的な危機なのです。

現代においては、人類が作りだしたこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人間がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきたわけではありません。幸せになるために、この地球にやってきたのです。人生は短く、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

常軌を逸した消費は世界を破壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を破滅させているのです。社会は消費という歯車によって回っており、私たちはひたすら早く、大量の消費を求められています。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況の魔物が私たちの前に現れるのです。

常軌を逸した消費を続けるには、商品の寿命を縮めて出来るかぎり多く売る必要があります。つまり、10万時間持つ電球をつくれるのに、1000時間しか持たない電球しか販売できない社会にいるのです。それほど長く持つ電球は、市場社会に良くないので作ってはいけないのです。人々がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければいけないのです。悪循環の中にいることにお気づきでしょうか。

これはまぎれも無く政治問題ですし、私たちはこの問題を異なる解決方法によって世界を導かなければなりません。石器時代に戻れとは言っていません。市場を再びコントロールしなければならないと言っているのです。私の考えでは、これは政治問題なのです

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

この言葉は、私たちの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです

そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということです。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は牛肉やミルクの輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が農地なのです。

働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では、6時間だけ働く人も増えています。しかし、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか。バイクや車などのローンを支払わないといけないからです。毎月2倍働き、ローンを払っていたら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます。これが人類の運命なのか。

私の言っていることはとてもシンプルなものです。発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。幸福が私たちにとって最も大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大事な要素だということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

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