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地下鉄サリン事件から21年、事件はなぜ起きたのか?またオウム真理教の現在は?

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20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件から21年となり、多数の駅員や乗客が巻き込まれた東京・霞ヶ関駅では遺族や駅員が黙祷、犠牲者の慰霊式が行われた。

 

地下鉄サリン事件とは?

1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件では、午前8時頃、東京の都心を走る地下鉄(丸ノ内線・日比谷線・千代田線)の車内に猛毒の神経ガス、サリンが撒かれ、13人が死亡、約6300人が重軽傷を負った。サリンは無色・無臭で毒性は青酸カリの約500倍。1988年イラン・イラク戦争でサダム・フセイン政権がサリンなどの化学兵器を使用したとされるが、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用されたのは初めて。

犯行は新興宗教団体オウム真理教によって行われ、これまで松本智津夫死刑囚(麻原彰晃)ら10人の死刑、4人の無期懲役が確定している。

 

オウム真理教とは?

1984年、麻原彰晃はオウム真理教の前身となる「オウムの会」というヨーガ(≒ヨガ)のサークルを東京・世田谷で立ち上げ、健康を維持・回復したい人が集まる。やがて麻原の「空中浮遊」がオカルト系雑誌で紹介され、宗教色を増していく。1987年、「オウム真理教」が誕生、麻原は自らを解脱して超能力を身につけた霊的指導者と称し、若者を中心に信者を増やす。また、「ダライ・ラマ」を宣伝に利用し(実際は会っただけでオウム真理教を推奨したわけではない)、海外へも積極的に進出した。地下鉄サリン事件の時点では、信者が1万人以上いたという。

一方、1989年に正式に宗教団体として登録されると、強引な勧誘を問題視した坂本堤弁護士はオウム真理教を追求、宗教法人の認可取り消しなどを求める民事訴訟の準備に入った。そのため、麻原は「教団の発展の障害になる」として信者に殺害を命じ、1989年11月、坂本弁護士一家殺害事件が6人の信者によって実行された。だが、遺体はそれぞれ別の箇所に埋められ、犯行が明るみになったのは、遺体発見後の1995年、地下鉄サリン事件の後であった。

 

なぜ地下鉄サリン事件が起きたのか?

ところが、1990年に真理党を結成し、衆院選に麻原を含む25名が出馬すると、テレビや新聞で報道され、数々のバラエティ番組に出演するなど知名度を上げていく。

だが、この選挙で全員落選、供託金も没収されると、脱会者が続出。「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽り、オウム真理教の教えは過激化していく。

そうした中で、麻原は日本を転覆させようとサリンを製造、事件を引き起こしていく。1993年から始まったサリンを使用した犯行はいずれも未遂に終わったが、1994年6月、松本サリン事件が発生する。1991年にオウム真理教であることを隠し長野県松本市に土地を取得するが、オウム真理教であることが発覚、長野地方裁判所松本支部が1994年7月に判決を言い渡そうとしていたところ、6月にサリンが撒かれ、8人が死亡、約660人が重軽傷を負った。

だが、長野県警察は第一通報者の河野義行を重要参考人として家宅捜索、メディアには容疑者として扱われた。

麻原はこの頃から病気であったとされ、組織は省庁制が敷かれた。1995年2月、公証人役場事務長逮捕監禁致死事が起こった。目撃者の証言などから容疑者としてオウム真理教が挙がり、教団本部に強制捜査に入ろうとしていた矢先、事前に捜査が入ることを知った麻原は地下鉄サリン事件を実行した。

こうした流れを見ると、いかにオウム真理教が追い込まれていたかがわかる。上記のような大きな事件の間にも教団に批判的な人物を何度も殺害しようとしている(オウム真理教を追求したジャーナリスト江川紹子も襲撃されている)。また資金目的に数々の殺害事件を引き起こした。

 

オウム真理教のその後

1995年5月、麻原が逮捕されると、活動は縮小、同年10月には東京地裁により解散命令が出され、1999年にはオウム新法(団体規制法)が施行された。逮捕後にも麻原の三女、松本麗華が「観念崩壊セミナー」と呼ばれる過激なセミナーを開催したが、あまりにも過激だったため結果的には脱会者が続出した。

そして、2000年、破産管財人からオウム真理教の名称の使用を禁止されたため、教団のスポークスマンを務め、教団に批判的な存在をポア(殺害)することに強く反対し、前年に出所した上祐史浩を代表として「アレフ」へと名称変更した。

2007年には麻原の教えから脱却するため、上祐派の信者たちが脱会、「ひかりの輪」を結成した。上祐が今でも代表を務めている。

 

アレフは現在も健在で、特に最近では資金集めを強化している。教団が保有する資産は今年に入って9億円を突破。12年の約4.2億円から倍以上に増えている。だが年間賠償額は09年以降、減少傾向にある。信者数は07年以降少し減っていたが、13年から増えている(13年以降は約1650人を維持)。20日には、アレフの活動拠点がある東京・足立区で住民約180人がデモ行進を行い、教団の解散を訴えた。

 

一方、1992年に支部が設置されたロシアでは今もオウム真理教が存在している。ロシアは日本よりも活発で、1994年にはモスクワに約3万5000人、ロシア全体では少なくとも5万人の信者がいたという。地下鉄サリン事件後、モスクワ市裁判所はロシアでのオウム真理教の活動を禁止したが、今でも信者がいると見られている。2000年にはロシア人信者が麻原の奪還を目的に日本での爆弾テロを計画し、逮捕された。昨年にはロシア治安当局がモスクワで教団施設を摘発。ロシアには54カ所の施設が存在するとされている。

 

また、被災者は今も後遺症や賠償額の遅れで苦しんでいる。霞ケ関駅の助役だった夫を亡くした「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさんは20日、「事件から21年になりますが、悲しみや怒りはあの日のままです。事件を知らない人も増えていますが、裁判は続いており、オウム真理教から名前を変えた教団などへの入信者も後を絶ちません。決して事件を忘れてはいけないし、風化させないよう伝えていきたいと思います」と話した。

 

地下鉄サリン事件の教訓

今から振り返ると「恐ろしい組織」だが、犯行を行った主犯格は最初から犯罪を起こそうとした訳ではない。主犯格の一人、中川智正死刑囚は京都府立医大時代に入信したが、きっかけは興味本位で麻原のヨーガサークルを覗いたことであった。収入が低く不安を抱えた低所得者から東大などの高学歴の人たちがオウム真理教に入信、数々の殺害事件を引き起こしたが、最初から異常な人間だったわけではない。ユダヤ人を収容所へ移送したアイヒマンが「普通」の人間だったように、「異常な」人間ばかりが事件を引き起こすわけではない。だが、事件後、そうした心理的変化に着目するよりも、恐怖ばかりが煽られ、信者の転入拒否まで起こった。

今では当時の事件を知らない若者の入信者が増えているという。その意味では、狂信的な信者を生み出す素地は現代にも残っているということだ。

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そして、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃)は一審後「壊れて」しまい、事件の真相は明らかになっていない。メディアの冤罪がなぜ起きたのかもそうだが、事件から20年以上経ち、風化しつつある中で、改めてなぜ麻原彰晃は生まれ、数々の凶悪な事件を引き起こしたのか、考える必要があるだろう。

 

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