日本 近現代史

「自虐史観」とは何か?

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この4月から大きく変わった歴史教科書

2014年に告示された新らしい教科書検定基準に則り、この4月から中学校で使用される歴史教科書が大きく変わった。これまで許容されていた表現に対して検定で修正を求められたのは64件、歴史の検定意見の20%を占める。新検定基準では、

  • 政府の統一見解や確定した判例がある場合は、それに基づいた記述がされていること
  • 近現代の歴史的な事柄のうち、学術的な通説が定まっていない場合はその旨を明記し、生徒が誤解しないようにすること

などが求められる。また、審査要項として、

  • 愛国心などを盛り込んだ教育基本法の目標に照らして重大な欠陥があると判断された場合、不合格にすること

という項目が盛り込まれた。

 
この変化の背景にあるもののひとつとして挙げられるのは、これまでの歴史観を「自虐史観」として否定する考え方だ。それでは、自虐史観とはどのようなものなのだろうか。

 

90年代から急速に盛り上がる「自虐史観」批判

主に明治から昭和初期の日本の歴史(近代史)に関して、戦前・戦中の日本の行いは一方的に悪かったとする史観を、「自虐的である」として、そのようには捉えない側が呼ぶ名称。いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」の存在および程度に関して通説に対する疑義が呈される中で、従軍慰安婦の強制性を認める河野官房長官談話(1992年)や、帝国主義時代の日本の行いを謝罪した村山総理大臣談話(1995年)が発表された。これらを契機として、日本の歴史の捉え方を見直すべきだという運動が保守層を中心に盛り上がる。

 
歴史教科書では、三省堂の高校日本史教科書執筆者である家永三郎による教科書検定に関する裁判や、中国、韓国からの批判を受け、1980年代中ごろより歴史教科書は戦前の日本の行いを克明に記す方向に変化する。高校は1994年から、中学は1997年からすべての教科書に「従軍慰安婦」に関する記述が盛り込まれた。このような動きに反発した保守層は、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)を1996年に結成。

 

自虐史観の特徴

自虐史観と批判する側の指摘は、主に以下の3点に大別される。

 

  • 歴史的事実の歪曲

いくつかの歴史的事件では、様々な議論があり定説が定まっていないにも関わらず、中国・韓国や一部研究者の主張を一方的に採用し、歴史的事実であるかのように扱われている。

  • バランスの悪い歴史観

その時代の世界情勢や日本の置かれた状況を無視して、現代の感覚で過去を説明しようとしている。また日本の過去の行いは徹底的に批判する一方で、他国の類似またはもっとひどい行いについては言及せず、日本だけが悪行を行っていたかのような書きぶりである。

  • 国や教育に対する姿勢

教育を通じて愛国心を涵養し、子どもたちに自国に対する自信をつけさせることが大切であるのに、教育を通じて自国に対する自信を喪失させる内容ばかり取り上げている。

 

見直される事実関係

これまでの通説で歴史的事実の認識に誤りがある指摘されているのは、例として以下のことが挙げられる。

 

  • 南京大虐殺(南京事件)

1937年に日本軍が南京を攻めた際、中国側の発表では30万人以上もの中国軍人・民間人が虐殺されたとされてきた。しかし、中国側が発表する数字の証拠は信憑性が乏しく、各種の推定によって、虐殺された人数は30万人よりも相当少ない(2万人~20万人など)と考えられる。そもそも虐殺の存在自体に疑問を投げかける論者もおり、「大虐殺」と言い切ることは不適当であるとしている。

  • 従軍慰安婦

これまで日本軍が朝鮮、中国、その他支配地の女性数万人~数十万人を強制的に従軍させ、性的な奴隷状態としていたとされてきた。しかし、日本軍の関与する「慰安所」で働く「慰安婦」はいたが、当時は合法であった娼婦と同じで、職業としての売春であり、日本の調査では強制性を示す直接的根拠は見つけられなかった。朝日新聞などマスメディアの誤報も問題の拡大に拍車をかけた。

  • 東京裁判

極東国際軍事裁判(東京裁判)によって日本軍が戦時中に犯した数々の罪は断罪された。しかし、東京裁判は連合国による一方的な裁きであり、裁判と言えるようなものではない。それにもかかわらず、東京裁判の結果をもって日本の非を一方的に認めようとする傾向が日本社会にある。また、米軍による日本の都市への無差別爆撃や原爆投下など、連合国軍側にも指弾されるべき行いはあるにもかかわらず、日本の行為だけが一方的に裁かれていることは不公平である。

 

戦後歴史観を構成する要素

戦後の歴史観の形成には、以下のような要素が関わってきた。

 
戦後直後、連合国軍占領下の日本では「プレスコード」と呼ばれる報道規制が敷かれていた。30項目からなるこの報道規制では、連合国や極東国際軍事裁判(東京裁判)などを批判することが禁じられ、出版物は検閲を受けた。1952年のサンフランシスコ講和条約発効によりプレスコードも失効したが、自虐史観を批判する側は、プレスコードの内容は依然として日本のメディアや教育界、歴史学会に根付いているとする。

 
また、戦後教育において、日本教職員組合(日教組)を中心として著しく近代日本を貶める教育が行われたとの批判がある。教職員組合の歴史を紐解けば、戦時中、教師が教え子を積極的に戦場へ送り出した経験から、それに対する反省として平和教育を特に推進してきた。一方で、組合の主な組織基盤が旧社会党や共産党など、帝国主義的体制や思想に強く反対する組織が主であったため、帝国主義時代の日本を全否定する側面もあったと思われる。

 
一部マスメディアについても、自虐史観批判者の言う「自虐的」な内容(時に事実と違う内容も含め)多く発信してきたことから、「偏向報道」「反日」と言われ、自虐史観形成の一翼を担ってきたと批判されている。マスメディアは戦前・戦中に政府のお先棒担ぎとなり、戦争へ踏み込む大きな原動力となったとの反省から、体制に批判的に、そして特に戦争に関しては抑制的に報道するようになった側面がある。一方で、検証が不十分なまま情報を垂れ流す傾向は、戦後教育によってできあがったある種の「自虐的雰囲気」に乗っているだけとも言える。

 

自虐史観がもたらすとされる「国益」損失

自虐史観を批判する側によれば、自虐史観は大きな問題点をはらむ。自虐史観に基づいた日本の世論と、従軍慰安婦などメディアの誤報による誤った事実認識は謝罪外交を正当化させ、それに便乗する形で中韓は海外で「旧日本軍の残虐性」を過度にアピールする運動を展開。このことによって日本はイメージを大きく傷つけられ、国益を大きく損なったと指摘する。この「国益の損失」を取り返すため、「歴史認識に関する情報戦」を(特に中韓や、朝日新聞など彼らが左翼偏向的とするメディアと)戦わなければならないとし、「歴史戦」と題する著作(阿比留瑠比著)や同タイトルの産経新聞での連載がある。

 

批判の応酬ではなく建設的な議論を

昨年、日本は戦後の防衛・安全保障体制を大きく変える決断を行った。今後の日本の進む進路を考える上でも、太平洋戦争までの日本をどのように捉えるかは極めて重要だ。

 
そうした中で、日本は善か悪か、自虐かそうでないか、という二元論に陥らず、事実認識をより充実させ、ひとつずつ社会のコンセンサスを積み上げていくことがまず必要不可欠だろう。

そして、憲法改正の議論が盛んになってきた今(関連記事:【憲法改正】各テーマでどのような議論が行われているのだろうか?)、何を私たちは戦前・戦時中の歴史から読み取り、これからの社会づくりに生かしていくかを考えていくことが、日本の大きな課題となるのではないだろうか。

 

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