アメリカ 中東 安全保障

「イスラム国」と対抗するために必要な部族対策とは ー 川上泰徳

イスラム国系サイトで公開されているシリア東部のデルゾールで地元の部族長(左)がISに忠誠を誓う儀式の画像
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パリ同時多発テロの後、国連の安全保障理事会は過激派組織「イスラム国」(IS)による一連のテロを非難し、加盟国に対して、「国際法に基づいた、あらゆる必要な手段を取る」ことを求める決議を全会一致で可決した。ISがシリアとイラクで築いている支配地域の撲滅や、外国から戦闘員が流入するのを止めることも求めている。

 しかし、国際社会はどのようにして、ISと戦うことができるのだろうか。パリのテロ事件の後、フランスはIS地域への空爆を激化させ、9月末から空爆に参加したロシア軍との合同作戦の話も出ている。しかし、空爆自体は昨年9月から米国主導で続いており、空爆が始まった後も今年5月、ISはバグダッド西のアンバル州とシリアの古代遺跡パルミラを制圧するなど、逆に攻勢に出ている。

空爆でISの施設を破壊し、人的な打撃を与えることはできるかもしれないが、撲滅できるとは思えない。ISを掃討しようとすれば、本格的に地上部隊を入れるしかないというのが大方の見方である。しかし、米国も欧州諸国も、ロシアさえも地上部隊の派遣を否定している。

  米国にはイラク戦争後に11年末までに4400人の米兵を失った苦い経験があり、ロシアにも1980年代の旧をソ連時代のアフガン侵攻の悲惨な記憶がある。ISの支配地域はイラクからシリアにまたがる20万平方キロの広さがあり、日本の本州(23万平方キロ)に匹敵する。地上戦となれば、自爆攻撃を含むISのゲリラ戦によって大きな犠牲を覚悟しなければならないし、泥沼状態にもなりかねない。

9月末にシリア内戦に“参戦”したロシア軍は、空爆で地上でのアサド政権軍の攻勢と密接に連携する戦術をとった。それによって限定的ではあるが、反体制勢力に支配されていたいくつかの村を奪還した。

 ただし、ロシア軍の空爆は、アサド政権の支配地から離れたIS支配地ではなく、政権軍が対峙する自由シリア軍など反体制勢力地域に集中し、「ISではなく反体制派攻撃」と批判されている。さらに、シリア人権ネットワーク(SNHR)の集計によると、米軍主導の有志連合の空爆が10月末までの1年間2か月で251人の誤爆による民間人の死者を出したのに対し、ロシア軍の1か月間の空爆による民間人の死者は263人に上った。誤爆というよりも、「無差別空爆」との批判が出ている。

ロシア軍の空爆で民間人の多大な犠牲が出ているのが事実だとすれば、有志連合の空爆がISの軍事拠点や幹部を狙ったピンポイントの攻撃であるのに対して、ロシア軍の空爆がアサド軍の進軍を援護しようとする空爆であることからくるだろう。有志連合の空爆が「点」を標的にしているのに対し、ロシア軍は「面」としての反体制地域に打撃を与えることが重要で、戦闘地域と非戦闘地域や戦闘員と民間人の区別をするつもりがないと考えるしかない。

米国や有志連合が、ISを打倒すると本気で考えるならば、地上での戦いとの連携が大きな課題であることは、ロシア軍の空爆を考えるまでもない。しかし、米軍が支援しているのは反体制派の「自由シリア軍」である。自由シリア軍と言っても、統一した司令部はなく、地域的にも組織的にも分裂し、統率の取れない組織が各地にあるに過ぎない。反体制派の中で、大部隊を抱えているのはアルカイダ系のヌスラ戦線やイスラム過激派組織の「アハラール・シャーム(シリア自由人イスラム運動)」であり、米軍が連携できる相手ではない。

状況を打開するために、米軍は5月に3年計画でシリア人1万5千人を訓練し、武器を与え、「穏健な反体制派」部隊を創設するプログラムに着手した。自ら反体制派地域での地上部隊の核になる存在をつくろうとしたのだろう。しかし、米軍は9月下旬には「人員が集まらない」としてプログラムを断念した。集まったのは120人程度だというから、全くの失敗である。

その後、10月9日になって米国防総省は、新しいシリアの反体制派支援策を発表した。「既にあるシリアの反体制組織」を支援し、直接武器を提供するという。ISとの戦いでは、米軍の空爆と地上の連携を行うということも含まれている。その戦術転換の後、ISのシリア側の中心都市があるラッカの周辺で、10月半ばと11月半ばに50トンの武器の投下作戦を実施した。米軍はクルド人部隊のYGP(クルド人民防衛隊)ではなく、アラブ人部隊に対する武器提供だと断っている。

「既にあるシリアの反体制組織」とは何だろうか。そのようなものが既にあるならば、頼りにならない自由シリア軍に振り回されることも、「穏健な反体制派」部隊づくりという無駄な骨折りをする必要も、なかっただろう。

10月9日にニューヨークタイムズは米軍の反体制支援策の転換に関して、米軍が支援している組織として、「シリア・アラブ連合(The Syrian Arab Coalition)」という、それまで聞いたこともない組織名を挙げた。同じ記事の中で、ラッカと周辺地域で反ISの立場で戦う「ラッカ革命家軍団」のスポークスマンが登場し、「既に米軍からの武器供与は始まっている」というコメントを出している。

米軍が支援する組織「シリア・アラブ連合」が「アラブ」と断っているのは、クルド人ではないということだろう。アラブ人の間には、米軍の支援を受けてシリア北部のコバニをISから奪回したクルド人部隊のYGP(クルド人民防衛隊)が地域で軍事的な支配を広げることに強い反発がある。しかし、シリア・アラブ連合との関係で、名前が出た「ラッカ革命家軍団」は、YGPと共闘するスンニ派アラブ人の部隊である。当然、その背後に米軍がいることになる。

米軍の対IS戦略は、YGPと新しいスンニ派組織を共闘させて、ISに対抗させるものだと推察できる。しかし、国防総省の説明には「シリア・アラブ連合」の正体が明らかにならない。アラビア語サイトを見ていくと、10月1日付で、「ラッカ革命家軍団」が「ISと戦う『部族軍』を創設することを発表した」というニュースがあった。部族軍はラッカ革命家軍団司令部に従うとしている。

さらに10月2日付で、インターネットの動画サイトのYoutubeで、「部族軍の司令官:我々は2000人の戦闘員より始め、目的はラッカ州からのIS排除」というタイトルで部族軍司令官のコメントが流れた。アラブの部族長の伝統的服装を着けた司令官は、声明の中で、部族軍は「ラッカ革命軍団」に従い、YGPとも「ISを共通の敵」として共に戦うと明言した。

このような報道から推測できるのは、米国が武器を提供する「シリア・アラブ連合」の実体は、ラッカ州周辺のスンニ派部族だということである。米軍の支持を受けるスンニ派部族が、「ラッカ革命家軍団」を通して、クルド人部隊のYGPと共闘するという構図である。

米国や米軍がシリアでのスンニ派部族軍を創設しようとしている話は、実は、夏ごろから出ていた。7月にイラン系のインターネットサイト「タスニム・ニュース」のアラビア語サイトで、米国務省、米軍などがジュネーブでシリアのスンニ派部族を集めた秘密会合を開き、そこにヨルダンやサウジアラビアの情報関係者も参加したというニュースが出た。会の目的は、「アサド政権と戦うスンニ派部族の組織の創設」とし、「ISとの戦いを掲げるが、実際は政権打倒が目的」と注釈をつけていた。

それに先立って、6月には、ロンドンに拠点を置くアラビア語メディア「アラビ・ジャディード」紙が、「シリア北東部でアサド政権軍とISの両方と戦う部族による軍団をつくる準備が進んでいる」というニュースを出した。

これらのニュースから見えてくるのは、米国は「穏健な反政府派」部隊の創設と並行して「スンニ派部族軍」の創設を進めていたが、「穏健な反政府派」部隊は断念せざるを得なくなり、「スンニ派部族軍」だけが残ったということだろう。米軍が10月に出した新たな反体制派支援策は、「穏健な反政府派」創設プロジェクトの失敗を糊塗するための代替策という形をとり、あたかも自分たちに直接武器を提供する組織という別のカードがあることを示そうとしたのだろう。

そこでいきなり「シリア・アラブ連合」という聞きなれない反IS組織が、米国防総省から飛び出した。一方で米国の報道からは、スンニ派部族軍のことは出てこない。米軍には部族の支持を募っていることを声高に言いたくない何か事情があるのだろう。

「部族」というといかにも古めかしい語感だが、ISが支配しているイラク中北部やシリアの北部や東部は、部族の勢力がいまも根強い場所である。部族とはもともと都市部の外で、ラクダや羊を放牧する遊牧の民である。いまはかなり定住生活になっているが、部族長を中心に「血のつながり」による結束が固い。部族のメンバーが殺害されれば、「血の復讐」の掟によって、復讐は集団的な義務となる。シリアで特定の部族への帰属意識を持っている部族人口は全体の15%とされる。

既にある米国が反体制地域でISと共に戦う友軍をシリアの地で探すとき、重要な選択肢となるのは、部族であることは疑いない。さらに米軍にはイラク戦争後のイラクで部族対策を実施した経験もある。

イラクでは2006年からバグダッド西方のアンバル州のスンニ派部族に武器と金を与えて、取り込み、「覚醒委員会」という準治安部隊を創設して、当時、ISの前身の「イラク・アルカイダ」に対抗させた。これによって、米軍の犠牲は激減し、2011年末の米軍撤退に向けた環境をつくることができた。覚醒委員会の創設は、悲惨だった米軍のイラク駐留では、数少ない成功例の一つである。

現在、シリアの北部、東部のIS支配地域で進む「スンニ派部族軍」の構想は、覚醒委員会のノウハウをシリアで再現しようという狙いであろう。しかし、米軍のスンニ派部族対策は今年5月に、イラクのアンバル州で失敗し、ISに同州を制圧されてしまったことが、直近の苦い経験となっている。そのことが、今回、部族軍のことを米軍が積極的にださない理由なのかもしれない。

米国はアンバル州の攻防では、スンニ派の主要部族にISとの戦いで協力を求めたが、有力部族の部族長は逆にISの最高指導者アブバクル・バグダディへの忠誠を誓う儀式を行った。ISはインターネットで、その忠誠式の様子を流した。アンバル州の部族代表は「我々とイスラム国と同じ船に乗っている。イスラム国は我々の国である。我々とイスラム国の戦士たちは、同じ敵と戦っている」などと宣言した。

イスラム国系サイトで公開されているシリア東部のデルゾールで地元の部族長(左)がISに忠誠を誓う儀式の画像

*イスラム国系サイトで公開されているシリア東部のデルゾールで地元の部族長(左)がISに忠誠を誓う儀式の画像

米軍がアンバル州でスンニ派部族の支持をとりつけることはできなかった背景には、イラクのシーア派主導政権が最後までスンニ派部族に武器を与えることを渋ったことや、ISと対抗するためにシーア派の民兵組織をアンバル州に出したことへのスンニ派部族の反発があったとされる。

さらに、かつて覚醒委員会で米軍と協力した経験が、逆効果になった。米軍駐留時には米軍からスンニ派部族に武器と金が出ていたが、撤退後は、シーア派政権の下で冷遇され、治安部隊への編入も進まず、給料も払われなかったため、米軍に裏切られたという思いや恨みとなって残っていた。

ラッカ州で「IS打倒のためのスンニ派部族軍」と言っても、米国が金と武器を与えれば、ISに対する部族の反乱を組織できるような簡単なものではない。ISは2014年6月に制圧したイラク第2の都市モスルや、ラッカなどいたるところで、現地の部族を集めて、ISとバグダディへの忠誠を誓う儀式を行い、次々と動画を挙げている。

現地からの報道では、ISはシリア東部のデルゾールの油田から得る石油収入を使って、支配地域の部族に対して、従えば道路整備や、飲料水や電気の提供など地域住民へのサービスや部族に便宜を供与して忠誠をとりつける。忠誠を取り付けた部族では、その部族の若者とISの戦士や地域の様々なサービスの担当者としてとりたてるような地元対策をとることが報告されている。デルゾールでは、原油が出るいくつかの井戸について、その地域にいる部族に高い分け前を提示して、部族の忠誠を得ているという。

しかし、もし、歯向かう部族があれば、村を襲撃し、村人を虐殺し、土地から追放するなど極端な「アメとムチ」政策をとっているという。今年5月にISが支配したパルミラでは、政権側について戦っていたシェアイタト部族を700人から900人虐殺したという情報が、シリアの人権組織の「シリア人権監視団」から出ている。

米軍は手詰まりとなったシリア内戦への対応で、改めて部族を取り込み、ISに戦わせる戦略をとった。「穏健な反体制派」部隊創設の失敗や、ロシアの空爆参加によるアサド軍の攻勢などに押されて、苦し紛れに出した戦略ではないかという疑いもある。しかし、ISによる巧妙で強力な部族支配を切り崩すのは、短期的には難しいが、時間をかけて実現していかねばならない戦略であることは疑いない。ISが各地の部族を従える構図を崩さない限り、ISの支配も潰えることはないからである。

「ISと戦う部族軍」を編成し、米軍が武器を提供しても、ISの部族対策を切り崩していくのは簡単ではない。ISが外部勢力だけではなく、主力はイラク人やシリア人であり、都市ではIS戦闘員は人々の中に住み、行政機能を担い、住民サービスを提供し、郊外でも支持している部族と一体化しているためである。

パリ同時多発テロの後、オランド大統領はIS空爆を激化させたが、ISは広大な支配地域に民間人や部族を抱え込んでおり、ISの組織や施設だけを選別的に攻撃するのは不可能である。空爆は都市部であれば民間の住宅地区の被害を避けられず、郊外であれば、部族の領域となる。つまり、IS空爆を激化させれば、ロシア軍の空爆と同様に、IS支配地域の民間人や部族に対する無差別攻撃につながりかねないのである。

現地の部族をISと戦わせると言っても、まずは利益と恐怖で縛られた部族をISから引きはがしていく地上での部族対策が必要となる。ISから離反しても見せしめで虐殺されるようなことがないように、「反IS部族連合」の解放区を作り、広げていくような支援と働きかけが必要となるだろう。

 

川上泰徳(かわかみ・やすのり)

中東ジャーナリスト。1956年生まれ。元朝日新聞記者・編集委員。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。退社後、フリーランスとしてエジプト・アレクサンドリアを拠点に中東を取材。著書に『イラク零年』(朝日新聞)、『現地発 エジプト革命』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)。

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