日本 近現代史

『1930年の政治政策学』(今中次麿)

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輸入学問としての政治学・政策学

政治学や政策学が最も盛んな国は、何と言っても英米圏であろう。政治学を中心に、行政学や政策学がわが国で根付き、大学のカリキュラムに組み込まれはじめたのは、それ程昔のことではない。わが国の社会科学全般に言えることであるが、その出自は輸入という体裁をとっており、現代にいたるまで、その性質は未だ色濃く残っている。

このように書くと、わが国にはオリジナルの政治学、政策学が存在しておらず、外国の先行研究に依存しているという、マイナスな印象を与えるかもしれない。しかし、このことは決して悪いことではない。民主主義国家として、膨大な人材と研究蓄積を誇っている諸外国の政治研究や政策研究を積極的に取り入れることは、大きなプラスとなる。当然、そのことによる誹りを免れない面も無いわけではないが、このような状況を、短絡的に覆そうと画策することの方が非生産的だと言える。

 

政治政策学の萌芽

そのような政治学・政策学ではあるが、実はわが国においても非常に早い段階でその観点を提出していた人物がいたことは、あまり知られていない。その人物とは、今中次麿(1893-1980)である。今中は大正から昭和にかけて活躍した政治学者であり、日本政治学会の初代理事となった研究者である。

その今中が、1930年に発表した著作が『政治政策学』(日本評論社)である。「政治」だけでなく、「政策」という題名を掲げたものとしては、かなり古い部類に入るものだと言える。当時、英米においても政策研究は未だ本格的に提唱されていなかったことを考えると、その先見性は非常に高いものがある。

 

「政治の本質」

では、その著作の中で今中はどのような議論を展開していたのだろうか。多岐にわたっている論旨を全て著述することは困難であるので、ここでは興味深いと思われる部分を紹介しておこう。

たとえば、「政治の本質」という概念についての記述がある。非常に漠然としたものであり、数多の政治学者たちが、このような根本的な問いに挑んできたが、未だ確固たる幅広い了解は獲得されていない。

今中は政治を「社会統制」と「法律規範」に分けて捉える。今中によれば、社会統制とは、自然の力でもなければ、イデオロギーや知識のような抽象的なものでもない。それは、利害関係や貧富の差、権力などのような集団関係を基礎としたものである。

このような集団関係は、何も政治に限った話ではなく、あらゆる場で見られるものである。職場や学校などでも、上下関係は存在している。では、それらと「政治」の違いは一体何なのであろうか。今中は、そこに「法律規範」の概念を持ち込むことで整理を試みるのである。

 

政治は何のために存在するのか

今中は、様々な組織(たとえば会社など)にも、法律のような規範が存在していることを決して軽視しているのではない。彼が着目したのは、その存在意義と性質である。

確かに、家族や宗教、会社などありとあらゆる組織の中には、支配を強要するような「統制団体」がある。しかし、今中はそれらの性質は国家とよく似ているけれども、区別せねばならないということを強調している。すなわち、法律関係の強行維持が、その区別の所以である。

どういうことかと言うと、家族や宗教などのような組織にあっては、温情やマインドコントロールのような手法が用いられるが、そこには、命令を高度な法体系によって強制的に貫徹するというシステムは無い。そのようなことができるのは国家だけである。今中は、その違いに政治の存在理由を求めていた。今中は、政治の意義を以下のように述べている。

 

「法の秩序を作り出そうという方法によって、それをなすのであるから、政治は法の統制だと言われているのである。政治は個人的福利のために存在しているのではない。いわんや、水害を防止するための河川修築が政治でもなく、鉄道の運営や、電信電話をもって人類の利便を計ることにあるのでもない。あるいはまた、殖産興業によって、社会を富し、貧民の米櫃に米を充し、教育を興して文化を開発するということが政治なのではない。政治は生活の関係を社会的に秩序づける法の関係の維持及び支配としてのみ存在し、発展しているものにほかならぬのである」(今中次麿『政治政策学』、日本評論社、1930年、p.35-36。引用にあたり、旧字体を現代仮名遣いに改めた。)

 

今中のこの立場は、現代においてどのように映るであろうか。1930年という時代背景を鑑みなければならないが、かなり大胆かつ論争的な定義だと言えるだろう。特に、今日の震災などを見るにつけると、この今中の定義は、政治をあまりに狭く捉えすぎだと言えるかもしれない。やはり、国民を富ませ、被災地を復旧することを政治の本質的な役割から外すという態度は、にわかに首肯しがたいものがある。先の投稿でも述べたが、そのような側面を政治から完全に排除することは好ましくない(地上戦と空中戦の論考)。

とは言え、1930年という時代に、日本の研究者が、外国の研究者の理念を輸入するという形態をとらずに、このような概念を提出したという事実は忘れ去られるべきではない。政治は、必ずしも身近な生活に関わるものばかりではなく、曖昧で重要な「社会的に秩序づける法の関係の維持」も担っていることもまた、事実なのである。このような点を既に見抜いていた今中は、やはり慧眼の持ち主だったと考えられる。

ちなみに、今中はこの著作の発表から11年後(1941年)に出版した『政治学』という書物が発禁処分を受け、大学の職を追われてしまう。終戦後、今中は多くの大学で教鞭をとったが、今日の政治研究、政策研究で本格的にこの業績が参照されているとは言い難いというのが現状である。

今日の政治の議論に彼の遺した「1930年の政治政策学」が、どれ程の意義をもたらすのかは不明だが、それを振り返ることは、批判も含めて重要な議論を惹起するものだと考えられる。

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