日本 社会 近現代史

創価学会・公明党とはどういう組織なんだろうかー設立から振り返る

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昨年、創価学会は創立85周年を迎えた。しかし、公明党との関係や一部の芸能人が学会員になっていることはなんとなく知っていても、その実態を知るものはそう多くはないだろう。

そこで、創価学会とはどういう宗教団体なのか、どのようにして公称会員世帯827万という日本最大の宗教団体にまで拡大し、現在はどのような状況にあるのか、詳しく見ていきたい(最初に断りを入れておくが、筆者は学会員ではない)。

 

設立は1930年、「創価教育学会」が前身

1930年、当時小学校の校長だった牧口常三郎(初代会長)、戸田城聖(二代目会長)らが、日蓮仏法に基づく教育の実践を目的とする団体、「創価教育学会」を設立。創価学会の前身だが、この設立日を創価学会の設立記念日としている。「創価」とは「価値創造」の意味である。

 

今を重視する日蓮仏法

この創価学会の土台となった日蓮仏法は、一心に唱えれば極楽浄土にいける浄土宗とは異なり、「南無妙法蓮華経」の題目を一心に唱題すれば今をよりよく生きることができるというものだ(それすれば結果的に未来もよくなる)。また、日蓮は「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」(四箇格言)と他宗を激しく批判。相手を論破することで、己の信仰の誤りに気づかせ、唯一の正しい教えである法華経への帰依へと導こうとした。これが、「折伏」である。

 

戦時中、初代会長・二代目会長が逮捕、初代会長は獄死

初代会長だった牧口は「創価教育学会」を設立後、日蓮仏法への帰依を深めていき、宗教団体としての性格を強めていく。そして第二次世界大戦中、宗教・思想の統一を図った軍部政府に対し、牧口と戸田は治安維持法や不敬罪によって逮捕され、牧口は獄死する。

だが、この投獄・獄死によって、その信仰はより強固になっていく。池田大作著「人間革命」一巻には獄中の様子がこう書かれている。

彼(編集部注:戸田)には、獄中にあっても、罪の意識なぞあろうはずはなかった。なんの悔恨もなかった。反省も必要としなかった。軍部政府は、いかにも愚劣で、狂信的で、わが同胞に対してすら暴力的で、不条理であった。そのような狂信をもたらしたものの根源が、軍部政府の精神的支柱であった『国家神道』にほかならないことを、彼は骨身にしみて熟知していたからである

そして、戸田は出獄後、「民衆の真実の幸福を築くには、日蓮仏法を広宣流布していく以外にない」と決意する。

 

社会問題となった折伏大行進

1946年、戸田は「創価教育学会」の名を「創価学会」に改めて、学会員に法華経の講義を始めた。そして友人に誘われて聴講した当時19歳の池田大作は入会を決めることになる。

1951年二代目会長に就任した戸田は当時会員数が5000世帯だった会員を、7年で75万世帯にすると目標を打ち出し、大規模な布教活動、「折伏大行進」を行った。

「折伏大行進」では、学会に入会しようとした家庭に他宗派の仏壇や神棚が置かれていると、それを無理やり焼却したり破壊し、軟禁や脅迫のようなことも行ったとされている。長崎で入信を強要された19歳の少年が飛び込み自殺をしたことが明らかになると一般社会から強い反発を集めた。この背景には、日蓮主義者である田中智学が唱えた「八紘一宇」が、第二次世界大戦時に日本のアジア進出のスローガンとして使われるなど、日蓮主義者に対するネガティブなイメージも関係している。

 

一方で、戸田の手腕への評価は高い。1950年に聖教新聞の発行を開始し、布教活動に大きく貢献。地域部や、婦人部、男子部、女子部、学生部など現在の創価学会の組織基盤をつくった。また1955年には、国会や地方議会の選挙に学会員を出馬させ、政治進出を果たし(1956年の参院選で3人が当選)、後の公明党結成の布石となる。

だが、1957年には参議院大阪府選挙区の補欠選挙をめぐって、創価学会は組織ぐるみでの選挙違反事件(大阪事件)を起こし、当時青年部参謀室長池田大作ら48名が逮捕された。戸田会長は池田と理事長の小泉隆以外の46名を除名処分としたが、後に池田と小泉は無罪となる。翌年1958年、戸田会長が死去。この時すでに会員が75万世帯を超えていた。

 

1964年に公明党結成、政界進出が本格化

1960年、法廷闘争中であった池田大作は後継問題などもあったが、三代目会長に就任する(1962年に無罪判決)。

池田は本格的に政界進出を目指し、1961年に公明政治連盟、1964年に公明党を結成した。1967年には初めて衆議院に進出し、25議席を獲得している。公明党を結成した理由を池田大作はこう語っている。

日本には、真実の大衆政党がなかった。保守政党は、大企業擁護の立場に立ち、革新政党はその企業などに働く、組織労働者に基盤を置いている。しかし、大衆は多様化しており、数のうえで最も多く、一番、政治の恩恵を必要としているのが、革新政党の枠からも漏れた、未組織労働者であった。民衆の手に政治を取り戻すためには、組織労働者だけでなく、さまざまな大衆を基盤とした、新たな政党の誕生が不可欠である。多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。」(「新・人間革命」九巻)

 

創価学会が日本最大級の宗教団体にまで拡大、「民族」としての役割

池田大作が三代目会長に就任した時は、会員は約100万世帯であったが、その4年後には500万世帯、70年には750万世帯にまで拡大。2010年時点では827万世帯と成長はしているもののその拡大スピードは下がっている。この1950年代〜1970年代の急激な組織拡大には、高度経済成長が深く関係している。都市化が進んだこの時代、田舎から都会に出てきた若者や貧困層に対し、唱題すれば貧困や病気から抜け出せると「折伏」し、信者を増やしていった(この層は共産党がターゲットにしている層とも近く度々衝突している)。こうした孤立無援だった存在を組織化し、人間関係を構築したとして、宗教学者の島田裕巳は「民族」だと表現し、社会的な意義があったとしている。

また、池田大作は小中高一貫教育を行う創価学園と創価大学を設立し、次世代育成を進めた。学校では創立者である池田大作の思想を学ぶカリキュラムが設けられている。安保法案で重要な役割を果たした現在公明党副代表の北側一雄衆議院議員は創価大学の一期生である。選挙活動によって地域内での関係性も強化され(フレンド票目的に友人・知人に投票を依頼するのは学会員以外にとっては迷惑であるが)、巨大組織へと成長していった。

 

日蓮正宗との決裂

だが、池田大作が会長になってからも、その過激な活動は続いた。1969年には著者や出版社などに圧力をかけて言論活動を妨害する、言論出版妨害事件を起こし、メディアや国会で大きな批判を集めた。さらに、その翌年には当時の共産党委員長宅を学会顧問弁護士らが盗聴し、過激な組織としてのイメージが形成された。この頃から様々な形で創価学会と公明党の関係についても批判を浴び続けた。

しかし、1990年代に入って創価学会は徐々に変わっていく。

日蓮正宗と1977年に対立した際は、池田大作が「お詫び登山」を行ったが、1990年に再び対立した際には両者は決裂、創価学会は「日蓮正宗」から破門された。

77年は謝罪したにも関わらず、91年に独立した理由は、組織が強固のものとなり、池田大作が崇拝の対象へと変わったからだと考えられる。つまり、「日蓮正宗」ではなくなっても分裂しないということだ。1979年、池田大作は会長職を辞任し、名誉会長に就任、歴代の会長を超える存在となった。その後も名誉教授をもらう(買う?)など徐々に池田名誉会長への個人崇拝は高まり、2002年に会則が変更され「牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」という項目が加わり、昨年11月には新たに「勤行要典(日々の信仰生活のなかで読むお経の内容)」を制定し、三代会長を永遠の師匠と仰ぐとした。これによって、池田大作は崇拝対象として正式に創価学会の中で位置付けられた。

 

「宗教政党」から世俗寄りの政党へ

一方、公明党が野党から与党に変わったことも大きい。1993年の細川連立政権で4人が入閣し、1999年の小渕政権では自民、自由、公明の自自公連立政権、その後は現在の自公体制へと移行し、与党として定着した。その結果、徐々に宗教色を弱め「普通」の政党へと変わっていく。

1964年の公明党結党宣言では、日蓮の「立正安国論」を引用し、「『王仏冥合』・『仏法民主主義』を基本理念とする」旨を謳い、宗教色を前面に打ち出していたが、現在の綱領は「生活者重視の文化・福祉国家」や「草の根民主主義の開花と地方主権の確立」などと、中道左派政党としてのイメージを打ち出している。今回公明党が推進した軽減税率も、その効果は疑問だが、「思想」としては理解できる。

また、2014年11月には、「教義条項」の改正を行い、設立以来掲げてきた「弘安2年(1279年)の大御本尊」を認めないとした。

だが、一般的には創価学会の色が付き過ぎており、なかなか近寄りがたいと感じるのが正直なところだ。創価学会も高齢化が進んでおり、過激な時代を直接知らない世代が主流になっていけばイメージも変わるかもしれない。単身世帯が増え、つながりも希薄化している現代において、コミュニティとしての機能を持てれば社会的意義はあるだろう。ただ、そうなった場合、財務(お布施)を払う意味を感じるのかはわからない。

 

海外に進出する創価学会

一方で、海外展開にも力を入れている。その取り組みは早く、1975年に「創価学会インターナショナル(SGI)」が設立され、今では192カ国・地域に1200万人以上の会員が存在するとされている。オーランド・ブルームが熱心な信者であることは有名だ。非日本語圏では教義を覚えることが難しいため、少し簡素化されている。フランスなどいくつかの国ではカルト扱いされている。また池田は1960年から96年までに54カ国を訪問しており、積極的に海外展開を進めてきた。さらに近年は「SOKAグローバルアクション」という行動計画に基づき、「世界平和の実現」に向けて「広布」を続けている。

 

池田後にどうなるかは不透明

池田大作が存命なのかはわからないが、「池田一神教」と言っても過言ではない状況で、池田大作が亡くなれば求心力は弱まるように思える。池田以降の会長の存在感は弱く、知らない人も多いだろう(現在は原田稔・六代目会長)。

さらに、今年の参院選では憲法が争点になりそうだが、橋下徹が政治家に戻り、おおさか維新の会が連立政権入りする可能性もある。そうなれば、公明党の存在感は弱まり、本来の教義を打ち出すことはさらに難しくなる。今でも自民党への選挙協力で与党入りできているが、そこを求めすぎれば、安保法案でもそうだったように、現在の学会員からの支持が離れていくかもしれない。ただどちらにせよ、少子高齢化によって国内の学会員が減ることは間違いない。今後は幅広い層から支持を集められるように、さらに世俗的になっていくものと思われるが、「宗教政党」としてのイメージを拭うのはそう簡単ではないだろう。

 

(敬称略)

 

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