中東 社会 近現代史

サウジ・イラン対立に、シーア派・スンニ派の宗派対立はどう関わってきたのか? ー 川上泰徳

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■宗教の政治化が宗派の対立、排除を生む

 2016年の世界のニュースはサウジアラビアとイランの国交断絶から始まった。イスラム教スンニ派の盟主であるサウジと、シーア派を主導するイランの対立であり、中東全域でスンニ派・シーア派の宗派対立を激化させるのではないか、という懸念が広がった。

 スンニ派は世界のイスラム教徒の9割を占める主流派、多数派であり、シーア派は1割とされる少数派である。日本人の多くは、スンニ派とシーア派と言えば、対立するものと考えているかもしれない。しかし、両派が宗教的な違いのために相手を互いに排除しあうと考えるのは間違いである。

スンニ派の中でシーア派を異端視して排除するのは、サウジアラビアで支配的な宗派である厳格なワッハーブ派ぐらいで、ほとんどのスンニ派教徒は、シーア派だからと言って拒否することはない。シーア派を拒否するスンニ派過激派のアルカイダや「イスラム国(IS)」は思想的にはワッハーブ派の流れをくんでいる。

もともとワッハーブ派ではないイラクのスンニ派にはシーア派を拒否する考え方は全くといっていいほどない。宗教的ではない世俗的なアラブ社会主義を掲げたバース党体制だったサダム・フセイン時代には、スンニ派とシーア派の間の結婚も珍しくなかった。

 イスラム教徒の人口で1割に過ぎないシーア派が、世界の関心を集めるほど影響力を持っているのは、イスラム世界の大国の一つのイランで9割以上の国民がシーア派教徒であるためだ。それもイランで1979年にホメイニ師の「ヴェラヤティ・ファギー(イスラム法学者の統治)」理論に基づく革命が起き、シーア派が政治化することで政治的な存在感を持つようになった。

スンニ派であれ、シーア派であれ、宗教のレベルで留まっている間は、単に差異にすぎないが、宗教や宗派が政治権力と結びつき、宗教が政治化されると、宗派の違いによる排除が生まれる。政治とは、権力を独占し、他者を排除するものだからである。

 

■かつては現実味なかった「シーア派三日月地帯」

イラン以外でシーア派が目立つのはレバノンのシーア派組織の「ヒズボラ(神の党)」であるが、これは1982年にイスラエルがレバノン侵攻をした時に、レバノン南部のシーア派の人々が、イランのシーア派イスラム体制の影響と支援を受けて結成したものだ。イスラエルの侵攻によって、イランの影響下でシーア派が政治化したものである。

イラクではイランとの戦争を始めたサダム・フセイン体制下で弾圧を受けたシーア派の宗教勢力がイランの支援を受けて反体制組織をつくった。フセイン体制下では、イラクのシーア派の政治化は「反体制」の枠にとどまっていた。しかし、イラク戦争によってフセイン体制が倒れ、民主的な選挙が行われた時、イスラム最高評議会(旧イスラム革命最高評議会)やダーワ党などが主導する旧シーア派反体制組織が選挙で勝利し、イラクでのシーア派勢力が政治を主導することになった。その結果、スンニ派を排除するような政治の動きが始まり、スンニ派とシーア派の宗派抗争が始まった。

イラク戦争の後、ヨルダンのアブドラ国王が「シーア派三日月地帯」という言葉をつかってイランが、イラクのシーア派政権の後ろ盾となり、さらにレバノンのヒズボラとつながっていることで影響力を強めていると主張した。しかし、当時はそれを真に受ける者はいなかった。シリアのアサド大統領はアラウィ派というシーア派の分派に属するものの、アラブ社会主義を掲げる世俗的なバアス党体制だったからである。

アサド体制では歴代、首相、国防相、財務相などの主要閣僚は多数派のスンニ派出身であり、キリスト教徒やクルド人などが参加し、アラウィ派は治安情報機関を抑えていた。アサド体制が長年、イランと協力関係にあったのは、イラクやイスラエルと政治的、軍事的に対抗するためであって、シーア派だからではなかった。だから、当時はアサド体制を含んで「シーア派三日月地帯」と束ねるのは説得力を持たなかった。

 

■イラク戦争、シリア内戦で、イランの影響力は台頭

ところが、シリア内戦によって状況が変わってきた。シリアで「アラブの春」の影響を受けて民衆の間に反政府デモが始まり、それが内戦へと激化した。シリア軍から将兵が反体制側に寝返って、「自由シリア軍」を作る動きが広がり、政権は軍事的に窮地に陥った。状況を巻き返すために、アサド政権がヒズボラの地上部隊の参戦を受けて、2013年春以降、反撃に乗り出した。ヒズボラはイランの革命防衛隊の支援を受けており、シリア内戦ではイランの革命防衛隊もアサド政権の支援で参戦した。さらにイランの支援を受けるイラクのシーア派民兵も参戦した。

シリア政権軍は内戦前30万人いたとされるが、13年秋には半数の15万人ほどまでに減少したとされる。減った15万人の半分は戦闘で死亡し、半分は兵役を拒否して逃げたとされる。アサド政権は兵員不足という致命的なマイナス要因を、イランの革命防衛隊やヒズボラというシーア派によって補充することで態勢を立て直した。シリア内戦は当初、アサド強権体制と民主化を求める反政府勢力という構図だったが、反体制派の中でアルカイダ系のヌスラ戦線や「イスラム国(IS)」など外国人戦士が参戦するイスラム過激派が台頭し、政権側もイランやヒズボラなど外国のシーア派の支援を受けることによって、シリア内戦が、スンニ派軍団(過激派)とシーア派軍団(イラン・ヒズボラ)の対立という側面が表面化してきた。

これによって、イランはイラクのシーア派主導政権、シリアのアサド政権、レバノンのヒズボラというすべての後ろ盾となった。これによって、かつてヨルダンのアブドラ国王が言った「シーア派三日月地帯」という言葉が、俄然、現実味を帯びてきたのである。

イランからレバノンまでイランの政治的、軍事的な影響力に支えられた「シーア派三日月地帯」が浮上するということは、そこに住むスンニ派勢力は抑え込まれることになる。つまり、イランでのシーア派主導政権の元でのスンニ派と、シリアでの反体制派の中核となっているスンニ派勢力が、政治的、軍事的に抑圧されることになった。

例えばイラク戦争後の混乱が続くイラクでは、15歳から20歳の若者の失業は約20%とされるが、スンニ派地域ではその倍になるという。イラクでは歳入の90%以上が石油収入であり、最大の就職先は国や地方の公務員ということになるが、シーア派が政府を主導し、省庁を抑えているために、就職もシーア派に有利になっている。スンニ派地域には就職だけでなく、財源の分配に対する不満も強い。

 

■「スンニ派の悲劇」によってISとスンニ派部族の連携

2014年6月にイラク北部の都市モスルが、「イスラム国(IS)」によって制圧され、その後、サラハディン州の州都ティクリートなどもISに制圧された。この時、私はイラク北部のクルド自治区に逃げていたスンニ派部族のリーダーたちにインタビューしたが、彼らはモスルやティクリートから政府軍が排除されたことについて、「スンニ派革命」という言い方をした。スンニ派を抑圧するシーア派主導のマリキ内閣(当時)を打倒するために、スンニ派部族が、ISと手を組んだ、という主張だった。

イラク第2の都市であるモスルがわずか4日間の戦闘によって、ISに制圧されたことは、地元の勢力の協力がなければ起こりえないことであり、スンニ派部族のリーダーの主張には説得力があった。同様のことは、シリア内戦でのスンニ派部族とISの関係でもいえることである。※イラクやシリアでのISとスンニ派部族との関係については、前稿<「イスラム国」と対抗するために必要な部族対策とは>(http://theplatnews.com/p=259)で書いた。

 1年前、日本人の湯川さんと後藤さんがISに殺害された後に、ISが後藤さん解放の条件となったヨルダン人パイロットが檻に入れられて焼き殺される動画を公開し、ISの残虐さを示す象徴と受け止められた。ISが残虐で非人道的な組織であることは議論の余地のないことであるが、イラクでのスンニ派の人々はシーア派民兵の残酷さを恐れている。昨年5月にアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに本部を置くアラビア語衛星放送アルアラビヤに、ヨルダン人パイロットの殺害の映像と対峙させるように、イラクの政府が動員するシーア派の「民衆動員部隊」がスンニ派の若者の遺体を焼く画像を流した。このような「シーア派民兵の犯罪」または「スンニ派民衆の悲劇」は動画サイトYoutubeにあふれている。

 アルアラビヤはサウジ系資本が入り、サウジ政府にも近いことが知られているが、イラクとシリアのスンニ派主要部族は、歴史的にはアラビア半島を起源とし、いまでも部族のつながりは続き、イラク戦争後のスンニ派地域や、シリア内戦でのスンニ派部族でも、部族を通じてのサウジの支援がある。ISやヌスラ戦線にも、サウジの若者が多数参戦しているとされ、サウジの金持ちが資金援助してきたことも知られている。

 

■イランと国交断交したサウジの事情

 サウジがイランとの国交断絶を発表したことは、イラク戦争後のイラクと、シリア内戦後のシリアでイランの影響力が強まり、両国のスンニ派勢力が抑圧され、「スンニ派の悲劇」がスンニ派世界で喧伝されているという文脈で理解されなければならない。サウジ政府は若者がシリア内戦に参戦することを禁止しているが、サウジの強硬な宗教者たちはヒズボラが参戦した時には「対シーア派ジハード(聖戦)」を呼びかけ、さらに昨年9月末にロシアが空爆を始めた時には「対ロシア・ジハード」を呼びかける声明を出している。

 アラブ世界から3万人の若者がISに参戦していく背景には、「スンニ派の悲劇」がスンニ派世界で呼びかけられ、シリアが「聖戦」の場所となっていることは無視できない。サウジでは昨年、国内のシーア派モスクに対するISの爆弾テロがあり、さらに治安部隊のモスクに対するテロもあった。ISはシーア派モスクへのテロの犯行声明の中で、サウド王家を「シーア派に対抗して国民を守ることができない」と批判した。

 サウジはシリア内戦で反体制派を支援しているが、イラク、シリア、レバノンを抑えたイランに対抗する有効な手を打つことができないままだ。米国が2014年秋に始めたIS空爆には参加する決定をしたが、その米国はイランとの核協議の合意によってイランと関係正常化を探る動きを見せている。サウジによる性急すぎるイランとの断交の発表は、イランと米国に対する不快感が現れている。一方で、イランに対して強硬姿勢を表明することで、「スンニ派の悲劇」に憤慨するスンニ派の民衆感情におもねる意図もあっただろう。

 サウジによるイランとの断交で、国際社会はスンニ派とシーア派の対立激化への懸念を強めたが、状況はむしろ逆で、イラクやシリアでのシーア派とスンニ派の対立激化に煽られるかたちで、サウジが動かざるをえなかったということだろう。ISの残虐行為はメディアでも大きく取り上げられるが、ISと対抗するシーア派民兵の残虐行為がニュースになることはほとんどない。しかし、「スンニ派の悲劇」が標語となっているアラブのスンニ派世界では、イランが支援するシーア派民兵への敵意や憎悪が強まっていることを理解しなければ、それに対応せざるを得ない政治の動きは見えてこない。

川上泰徳(かわかみ・やすのり)

中東ジャーナリスト。1956年生まれ。元朝日新聞記者・編集委員。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。退社後、フリーランスとしてエジプト・アレクサンドリアを拠点に中東を取材。著書に『イラク零年』(朝日新聞)、『現地発 エジプト革命』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)。

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